五景 両ごく回向院元柳橋

歌川広重作、名所江戸百景の五景は「両ごく回向院元柳橋」です。

回向院は両国に現存する寺院で、江戸市中を襲った明歴の大火の後、四代将軍家綱公が亡くなった人を手厚く葬るように大法要を営んだ際に建てられたと伝わっています。広重の絵は勧進相撲の開催を告げる櫓越しに隅田川の対岸まで見渡す構図となっていますが、残念ながら現存する回向院さんからは隅田川は望めませんし、櫓も立っておりません。さてどうしよう。

やむなく隅田川岸まで出て、苦肉のショットとなりました。

たくさん言い訳をしなければなりません。まず上記の事情で回向院をスルーしましたし場所は両国ですが相撲の櫓は立っておりません。隅田川の向こうに富士山が(当たり前ですが)望めませんでした。それに加えて絵のタイトルになっている元柳橋が現存せず写真に撮れませんでした。苦し紛れで、櫓の代わりに前ボケさせて形だけ借りたのは川岸の「この先行き止まり」の看板です。

元柳橋は隅田川対岸の薬研堀にかかっていたらしいですが、橋どころか薬研堀ごと現存しません。堀の跡地は現在↑の写真の右上方に写っている日本橋中学校になっているようです。そういえばこの中学校と地名だけ残っている薬研堀あたりは何年か前に散歩したことがありました。この際、中学校の手前に見えている歩道橋で元柳橋に見立てていただければ幸いですw

スルーした回向院さんに申し訳ないので山門の写真を載せておきます。

そもそも古くは薬研堀にかかっていたのは”柳橋”だったそうです。ところが神田川が隅田川に流れ込む河口に後から出来た橋が柳橋と名付けられたために、薬研堀の橋の方は元柳橋と呼ばれるようになったのだそうです。”元”の方は上記の事情で撮れなかったので”現”柳橋の方を撮っておきました。、

さて今回は往時を偲ぶという意味ではほぼ零点の写真になってしまいましたが、もともと、これくらいのことはあるだろうと予想はしておりましたので、めげずに続けていきたいと思います。

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