二十八景 品川御殿やま

歌川広重の「名所江戸百景」の二十八景は、品川御殿やま。元の絵はこちらです。

いきなり二十八と項番が飛びました。百景の春の部(一景から四十二景)では花の名所がたくさん題材になっていて、ことに桜の花を抜きにして撮るのがどうにも忍びない風景が少なくありません。とりあえず桜の開花を待ってはみたものの、短い花の盛りにすべて撮って回るわけにもいかないので・・・えいや、今年の春はこの四か所、と乱暴に割り切って決めたのうちのひとつがこちら品川の御殿山です。

ところが、当の御殿山の丘の現地は今や東京に品川の街並みに埋め尽くされて跡形もなく、かなりの心眼上級者でないと往時の面影を見て取ることはむつかしい、こんな状況でした。

なんとなく鈍い写りなのは曇天のせいというよりは、撮影者の腕の拙さに加えて線路際の金網を無理やりボカして撮っているせいです。すぐ手前を横切るJRの線路の切通しのせいで御殿山ヒルズの高層ビルの足元が一段高く見えて、ここが元の絵の崖にあたるかのように見えますが違います。私の立っている場所もまだ昔の御殿山の丘の上で、旧海岸線はまだかなり後方。

現在はその海岸線も埋め立てられて陸地が広がってしまいました。この日は運良く、元の絵で広重の俯瞰の視点があったとすればこの辺り、と思われる場所でビルの上層階に登ることができました。そこから撮った衝撃の画像が、記事のサムネイルにも使ったこちら”品川御殿やま 2024″。


写真の手前三分の一あたりを左下から右上に斜めに横切っている通りがあるのがわかるでしょうか? 現地で表示看板を見たらこの通りが「元なぎさ通り」とありましたから、旧海岸線がこのラインだったのだと思われます。

ほぼ同じ場所の眺めが、こうも変わるのに要した時間が百数十年。長いと感じるか、短いと感じるか。

すぐ近くに「品川区立台場小学校」があって、幕末には外国艦隊を迎え撃つために海に向けて並べる砲台がまさにこの場所に造られていたのでした。いろいろ隔世の感を感じます。

とはいえ激動の時代は遥か昔で、その小学校の校門あたりで桜はこのとき七分咲。新入学の子供たちを迎える微笑ましい光景なのでした。

このあと、せっかく咲いているので御殿山で少し桜を撮ってきました。その写真は次回。

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