無藝荘

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緊急放出(?)蓼科ストック写真のつづきです。

高原の中心部、麓から登って蓼科湖を少し過ぎたあたりに、故・小津安二郎監督の別荘「無藝荘」が遺されて一般公開されています(毎日というわけではなく、夏の特定期間とか週末だけとか限定されているので注意)。

小津監督作品にも日本映画の歴史にも、正直それほど詳しくない私ですが、たまたま開館日に遭遇したのでミーハー心がうずいて撮りに行ったんですね。ちなみに館内は撮影自由でした。

無藝荘の外観です。茅葺屋根が何とも言えず良し。

小津安二郎(1903-1963)昭和の初期から三十年代にかけて活躍した映画監督。芸術的な作風で知られ、特に戦後の「晩春」「麦秋」「東京物語」ほかの諸作は国内外で高い評価を受け、ゴダール、ヴェンダース、侯孝賢など海外の錚々たる映画監督たちが影響を受けたことを明言している。彼の独特の作風は「小津調」と呼ばれ、

(wikipediaより引用)
その主な特徴として、ロー・ポジションでとること、カメラを固定してショット内の構図を変えないこと、人物を相似形に画面内に配置すること、人物がカメラに向かってしゃべること、クローズ・アップを用いず、きまったサイズのみでとること、常に標準レンズを用いること、ワイプなどの映画の技法的なものを排することなどがある。また、日本の伝統的な生活様式へのこだわりや、反復の多い独特のセリフまわし、同じ俳優・女優が繰り返しキャスティングされることも小津調を作り上げる要素の一つになっている。

以上、いつもの受け売り情報でした。

映画の作品世界さながら、無駄なものの入り込む余地のないミニマルな山荘の暮らしが偲ばれます。

小津監督が無藝荘を入手した1958年から亡くなる1963年までの7年間、かなり足しげく通ったよう

です。創作の拠点を北鎌倉の自宅からここへ移したとも言われていますが、資料を拝見した私の感想としては、晩年の山荘暮らしをおおいに愉しみつつ、映画製作仲間との交流の拠点として利用したのではないかと思いました。

そうそう、この山荘は別の場所にあったのを現在の場所へ移築したものだそうで、地元の茅野市と蓼科観光協会によってしっかり管理されていました。私が訪れた日も気さくな管理人の女性がいて、囲炉裏に薪をくべながら「小津先生はいつもそこの壁を背にして掛けたそうですよ」などと話してもてなしてくださった記憶が。

十分に夏の最中と言って良い時期でしたが、さすがに冷涼な蓼科だけあって、囲炉裏の火を温かく感じたものです。居心地良いし、入場料100円じゃなくてもっとしっかり取られても良いと思いましたけどね(笑)。

以上、映画門外漢の無藝荘訪問の想い出写真と駄文でした。

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