辻邦生全集から

高校生だった頃に国語の教材(たしか通信添削の問題文だったと思う)として読んで、えらく心に沁みたエッセイの一節があります。わたしにもそんな感受性豊かな頃があったんだなあ。遥か昔の話なので「沁みた」ことは良く覚えているのですがどんな話だったか正確には思い出せません。

著者がフランス文学者にして大作家の辻邦生であることは間違いなくて、なんかこんな話だったような・・・

・ヨーロッパ?の静かな森の湖畔で内省的に過ごす充実した日々
・しかしやむを得ず日本に帰らねばならぬ
・機上から夕陽の残照を眺める。あの森は既に遥かに遠い
・旅の詩情と魂の救済の、なんと儚く尊いことよ

いや違うかなあ、だいぶ脳内修正入っちゃってるかなあ。さらに記憶は微かになりますが、出題文の最後に引用元の但し書きがついていて”辻邦生「わが日本の文学風土から」”みたいな感じのタイトルだったような・・・。

で、訪ねたことのある図書館に「辻邦生全集」が蔵書されていることを最近知ったので、この曖昧な記憶だけを頼りに探してみようかと思い立ちました。この全集ですね。

「寫眞倶楽部」の記事にするために無理やり写真を撮ってきた品川図書館の全景。ここにその全集があるらしい。

「日本の文学」の全集コーナーの一角。

たしかにありました!
写真の真ん中の段の左側の白い背表紙20冊が「辻邦生全集」です。この図書館は全集の品揃えが充実してますね、素晴らしい。

で、問題はこの20冊の中からお目当てのエッセイをどう探すか(そもそも収録されているという保証もないけど)。
実は事前にグーグル先生にお願いして調べようとしたのですが、タイトルや記憶が曖昧なので思うようにいかず、また”辻邦生全集”はこのシリーズ以外にもあるらしくて情報が入り混じり、何巻に何が載っているか訳がわからず・・・。

結局、ほぼ満席で賑わっている図書館の広い閲覧席の片隅で「これかも」と思しき数巻を積み上げてひたすら流し読み・探索することに相成ったわけです。

探すこと小一時間。

ありました!

ウン十年の時を越えて、見つけました「あの」エッセイ。

新潮社版 辻邦生全集 第17巻
当該作のタイトルは「荒涼の地の果て・宗谷岬」。二段組みで8ページほどの分量のエッセイで、初出は「旅」誌1972年2月号だそうです。
以下多少のネタバレ込みで記します。

わたしがヨーロッパだと思っていた森と湖は正しくは北海道のサロマ湖のことでした。エッセイの前半は著者が自作の舞台とした稚内と宗谷岬を訪ねる話、後半はその後に道東のサロマ湖畔に滞在した話で構成されていて、わたしの「問題文」は後半の結びにあたるのでした。

旅の前半で自分が書いた小説の主人公の心情にあらためて寄り添った著者が、後半の経験で「もうひとつの、書かなかった小説を読んでいた」ことを発見するというのが話のミソ、秀逸なレトリックになっているのです。

舞台装置の勘違いはさておき、静謐な森での暮らしを想う描写の美しさと旅の抒情の深さ、反比例する都会への帰還の苦さなど、話の筋はほぼ記憶の通りでした。そして、さらに前半から通して読むと、小説家の心象としていっそう陰影の深いものになります。やはり原典に触れてみることは大切ですね。

最後の一節を引用しておこうと思います。高校生のわたしの心を震わせたこの部分は、ヨーロッパではなく北海道の話だったことを除いてまずまず記憶通りでした。

雲上の西日の残映はいつまでも地平にとどまっていた。すでに北海道は「童話の国」のように遠かった。それは人々が人生をそのように見るとき、遠ざかっているように、ある心の距離としての遠さであった。私たちが詩と郷愁を汲みあげるのは、こうした遠さであることを、私は旅の一つの考えとしてノートに記した。
(辻邦生「荒涼の地の果て・宗谷岬」より)

辻邦生いいなあ。全集読んで久しぶりにブンガクしちゃおうかな。

ところで、どんな「出題」だったんだろう。

「人生をそのように見るとき」の「そのように」が示す内容に最も近い文中の一節を○文字以内で書き抜きなさい

とかだと、けっこう歯ごたえあるな。

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