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秘蔵の(でもないか)蓼科ストック写真を使った、撮影練習の報告です。
横谷峡で渓流を「止めて撮る」か、シャッター速度を落として「流して撮る」かどっちが良いか迷った私ですが、この時。蓼科に滞在している間に何回か渓流を撮る機会に恵まれて、何度か試していました。
今回はその振り返りの顛末。名付けて「涼味満点、渓流撮り試行錯誤の巻」
例えば、SS1/1250なら激流でもこの程度に「止める」ことができます。
同じ場所で手持ちでSS1/13 このくらいのSSでも流れが速いのである程度は「流す」絵になる。
渓流の速さ・激しさと豊かな水量を表現したいわけですが、この2点は、私見では大差なし。
というか、中途半端に「流す」のはあまり効果的ではないな、と思いました。
お次はこれ。遠目から望遠で、泡立つ激流が岩に迫る様子を「止めて」みました。SS1/200
同じ場所で「流す」表現。SS0.3
このくらいしっかり「流す」ことができると、好き嫌いはあるでしょうがはっきりと違う表現になりますね。私の感覚としては、「止める」絵がしっかり説明写真で現実的なのに対して「流す」絵は小説本の挿絵のように情緒的。
あ、そうか。
自分の好みがこれで説明できる。
私はこれまで、どちらかといえば「止める」表現の方が好ましい、と考えていました。それはその方が私にとって「写真らしい」からなんだ。「流す」表現は私にとって「絵を描いたみたいで、写真らしくない」と感じるんだ。だから「なんか違う」と思うことが多いんだ、私は。
個人の好みなので、こんなことをここで独白しても仕方ないんですが(苦笑)。
でも、難しいのは、好きではない「流す」表現でも、わたし的に「あり」な写真が撮れることもある。たとえばこれ。
右の大きな岩のところで左右に分けられて、岩を巻くように流れ落ちてくる太い「流れの帯」の力感。肉眼で見たり、「止めて」撮ったりしてもはっきりとは見えないこのダイナミックな「流れ」が、渓流を「流す」表現で撮ることによって初めて捉えられていると、私は思います。
渓流撮り試行錯誤の結果わかったこと。
「止める」と「流す」は表現として異なるので、要は使いどころだと。
どっちかというと「止める」を好むオヤジ(わたし)といえども、いつでも両方使いこなせないと駄目だと。
ああ、平凡で前途多難な結論でした。
・・・ところで、ストック写真もこれで尽きたようだし、次回はどうするかな。
しばらく夏休みというのもあるかなあ。


