新選組 絆の戦跡 in京都 つづき

旧サイトから記事を転載したため内容齟齬やリンク切れなどの不備が生じていることがあります。
***
前回に続いて、スタンプラリーゲーム『新撰組と福島 〜絆の戦跡〜』の前哨戦で、京都のスポットを訪ねています。

壬生屯所跡八木邸を後に、次なるスタンプラリーのポイントに向かいました。タイミング良くやってきた京都市バス203系統の車内は、エアコンばっちりで実に快適。水分摂って少し生き返りつつバスに揺られることおよそ30分。

やって来たのはこちらの名刹です。
この写真だけで何処だかわかったら、お見事ですが・・・

こちら、スタンプラリーの2箇所めは、浄土宗大本山、黒谷・金戒光明寺です。壮麗な三門を丘の上の御影堂側から見下ろすと、こういう全景になります。

実は2,3年前の桜の季節に、写真散歩でここに立ち寄っているのですが、その時には、恥ずかしながら、あの松平容保公が、京都守護職として会津藩本陣をまさにここに構えたという史実を、全く知らずにおりました。

近藤勇以下の壬生浪士組が、”会津守護職預かり新撰組”の名を、ここで容保公から拝命したのですね。この場所で。
はるばる江戸から一旗揚げようとやってきた寄る辺ない浪士が、晴れて幕府要職お抱えの士分”新撰組”となり、京の街を意気軒高に闊歩して刹那に輝いた激動の幕末・・・。知っていれば、美しく儚い春の花の興趣も一層格別だったでしょう。

火灯窓(花頭窓)は禅宗のお寺のもの、と思っていましたが、浄土宗のこちらのお寺でも見られました。(安土桃山期以降、禅宗に限らす寺社建築に広く用いられるようになったらしいです。後になって俄か勉強しました)

これは、法然上人の幼少の頃の姿を写した像と紹介されていました。

法然上人同様に、私も依然として強烈な西日を浴びています。日没まではもう少し間があるようです。

去年のこの季節にも感じたことですが、Panasonic GX7mk2で撮る夏のスナップは、あまり湿気を感じさせない、ドライな写りになることが多いのではないでしょうか(勘違いかもしれませんが)。
これがPanasonicの絵作りの特徴なのかな。どう使えばその特徴をより活かせるか、おいおい考えていきたいですね。

実際のところ、写真で見るよりも高温超多湿な環境だったので、この頃すでに私は青息吐息。さすがに京都でのこれ以上の街歩きは諦め、宿泊先ホテルでしばしクールダウン休憩となりました。
私の”絆の戦績スタンプラリー”のこのつづきは、たぶん会津編になるかと(予告)。

で、夜になって復活し、京都のお気に入りの店に繰り出して・・・
というのは、また別のお話。

タイトルとURLをコピーしました