百一景 よし原日本堤

歌川広重「名所江戸百景」の百一景は よし原日本堤、元の絵はこちらです。

浅草聖天から吉原大門を経て三ノ輪までの一本道は土手通り。現在のこの名が示す通り、ここはもともと川が流れていてその土手(堤防)が日本堤と呼ばれていたのだそうです。ところが、都バスを降りて土手通りを歩いてみたものの「土手」や「川」らしき気配は皆無。

二百年近く経つうちにすっかり様子が変わってしまったのかなと思いながら、ふと一本裏通りに入ってみたら、それらしき痕跡がちゃんとあるじゃありませんか。

城東地区らしく細い道が立て込む商工地域の中を、不自然な広い道幅で土手通りと平行して貫くこの裏通りは「山谷堀公園」と名付けられていて、間違いなく水路の名残りです。

このあと少し歩いて日本堤(住所表記として現存)という地名の由来の解説看板を見つけました。百景の絵まで引用したちゃんとした歴史案内でしたが、目下の雰囲気としては看板の場所よりも上のマンションわきの写真を採用としました。元の絵に寄せて宵の口に撮ればもっと・・・いや暗くなってカメラ構えるのはいろいろリスクありそうだからこれで良しとしましょう。

百景の絵には吉原に通う人を相手にいくつも出店が出ている様子が描かれていますが、今も土手通りには年季の入った建物の料理屋さんが並んでいたりして、なるほど歴史を感じます。

行列中の天ぷら屋さん「土手の伊勢屋」は、広重画伯の時代よりはわずかに新しいですが創業120年を越えるそうで、大した老舗です。

ところで吉原大門の少し先まで歩くと、こんな写真も撮れちゃいました。

「あしたのジョー」像です。あの”丹下ジム”のあった泪橋(川が埋め立てられて橋はなくなってしまいました)が近いから、ということでここに造られているそうです。造って維持していただいてるだけで貴重で有難いのだから、大人げなく似てないとか言わないように。

山谷のドヤの方を振り返る矢吹丈、というなかなか渋い設定です。ちば先生の絵の中には確かにこういうスタイルのジョーも居るのですが、大人げない身勝手な思いとしては、やっぱり赤い帽子がある方が好きだなあ。

今回の”百景”撮影地

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