歌川広重「名所江戸百景」の五十一景は 佃しま住吉の祭り、元の絵はこちらです。
佃まつりを題材にした写真は夏らしくて気が利いてるじゃないか、是非行こう! という志は悪くなかったと思うのです。しかし残暑の厳しさは私の志の強さを遥かに上回っていて、暑さに身体が負け、すっかり変わってしまった佃島の風景に心が折れて、持ち帰った写真はこんな風になってしまいました。
ほんと、ごめんなさい。
元の絵と同じ佃島・住吉神社の境内で撮っていることは間違いないのですが、海も漁船も、もちろん渡御する神輿も見えません。祭りの幟の代わりに冴えない石灯篭の写真になってしまいました。未練がましく左から松の木の枝が顔を出していることだけ寄せているという(苦笑)。
神社の位置は古地図と同じで、変わったのは周りの風景の方です。
浅瀬に漁師たちが造った小さな佃島の周りは、今ではすっかり埋め立てられて、佃・月島は東京都中央区の一大領土です。
↓の写真では、旧い佃島と現代のリバーシティの高層ビル群が好対照。
奥の方に見える赤い欄干の橋は1644年(正保元年)に造られたオリジナル佃島の時代からある佃小橋(もちろん何回か架け替えられているでしょうが)で、中央の水路は漁師が舟を引き入れるための堀割りだったらしいです。
ちなみに、佃島の歴史はこちらのサイトに詳しいです。
中央区の島物語・佃島 by こあら | 中央区観光協会特派員ブログ
東都名所佃島入船ノ図 歌川広重(初代)画 江戸期 「佃煮」の由来が佃島にあるのは有名な話ではないでしょうか。 佃煮は、佃島の漁民が江戸湾内で獲った小魚などを煮て保存食として作ったものです。江戸時代からの漁師町である佃島には、今でも江戸時代から創業している佃煮屋さんが3...
あと、脈絡ありませんが住吉神社境内のこの写真を最後に。
時代としてはそんなに古いものではなく、1953年(昭和28年)に鰹節の卸商組合が奉納されたとのことです。大きさ・形・色が結構インパクトがあって、惹かれてつい撮ってしまいました。。