御殿山下台場を歩く

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ちょっと「散歩の達人」か「PEN」みたいなタイトルですかね(苦笑)。

現在、東京でお台場といえば、たいていは都心からレインボーブリッジを渡った先にある例のド派手なレジャータウンを指します、なぜ「台場」なのかというと、聞きかじりで「幕末期に江戸防衛のために海上に建設された砲台の跡地」くらいの知識は私も持っています。

その東京湾に浮かぶお台場とは別に、城南地区にも台場と呼ばれる場所が残っているのだそうです。地元の自治体の広報やタウン情報で(実はずいぶん前に)知りました。それは一度見ておきたいと思ってはいたのですが、行きそびれて何年も過ぎ・・・。

そんな中、感染症の再流行のおかげで、東京都民としては休日に県境超えて遠くへ行くのはちょっとアレよ、みたいな感じでしたので、この際、城南の台場を見に行ってみるか、というわけでいつものPENTAX KPとDA20-40mm limitedを抱えて歩いてきました。

こちら、品川区立台場小学校正門わきに残る、御殿山下砲台跡です。

街の雰囲気やら天気やらコロナの憂鬱やら撮り歩いた私の気分やら、いろいろないまぜになって、今回はセピア・トーンの写真にしてみました。

この写真については街の歴史・観光案内的に少々語るべきことがあります。

幕末に海上防衛の要として品川沖に8箇所に計画された砲台のうち、第1〜第3、第5〜第6の5箇所の台場が完成しました(幸か不幸か、砲台として実際に使われたことは無し)。このうち第1と第5は今の品川ふ頭として埋め立てられて既に消え、第2は昭和30年代に撤去され、第3はご存じお台場海浜公園に形を変えて残っています。第6台場は・・・実は今もレインボーブリッジの脇に海上人工島として形を変えずに現存します(立入禁止)。
これらの人工島の台場とは別に、品川の陸地にも砲台が据えられました。五角形の砲台に100門以上の大砲が据えられた大規模なものだったそうです、呼び名が御殿山下台場。そしてその跡地の上に建つのが写真の台場小学校なのです。
残念ながらこの台場跡は全く現存せず、上の写真のように、校門前にある灯台モニュメントがわずかに「台場」時代を偲ばせるのみです。灯台は上記の第2台場にあったものを模して造られ、写真には写ってませんがすぐ近くには、完成しないまま都市建設の礎となった第4台場の積石を用いた小さな記念碑があります。

以上、「郷土の歴史」の時間を終わります。なんつって、ほとんど下記のサイトからの受け売りです。興味のある方はオリジナルをどうぞ →お台場=砲台?!意外と知らない品川台場の歴史と成り立ちについて

私がちょっとセピア・トーンを使いたくなった気持ち、伝わります?

目的の「台場」を探し当てた後で、まわりを少し歩きました。
写真は引き続きセピア・トーンでノスタルジックに。

近くの利田神社。あとで調べたら境内に鯨塚があったらしいですが、見損ないました(苦笑)。

個人宅の前から道路に盛大にはみ出して並べられた鉢植え。はかなくも綺麗でした。

公園で遊ぶ親子。手前の木がいい感じの額縁になりました。

船宿近くの寂れたベンチ。

以上、御殿山下砲台場を歩くの巻でした。たまにはこういう「近くに行く旅」も悪くないです。

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