百十六景 高田馬場

歌川広重 名所江戸百景の第百十六景は 高田の馬場、元の絵はこちらです。

江戸幕府の三代将軍徳川家光公が、馬術の教練のために当地に馬場を造らせました。大阪冬の陣の軍勢出立に際して馬揃えが此処で行われたと言います。手前に丸く描かれているのは流鏑馬の的でしょうか。

ちなみに、高田の馬場の呼び名の由来には、「越後高田藩に所縁のある土地だったから」「高台にあったから」の二説あるそうです。現代の住所表記では新宿区西早稲田ということになっていて、高田馬場の名はJRなどの鉄道駅として残るのみです。

地名が消えて馬場自体はどうなったかというと、実は当時のまま残されて・・・いません。

そりゃそうだ、この都心で馬術のトレセンが成立するかというと、なかなか厳しいものがあるでしょう。というわけで影も形も無くなった「高田の馬場」の現代の風景はこんな感じです。

開けた土地が無くもちろん流鏑馬の的に似たものも見当たらないので、コインパーキングの看板と自販機の背中でご勘弁ください。「荒木又右エ門、高田馬場の決闘」とか、それを下敷きにした落語「高田の馬場」とか、もはや夢想することすら難しい変わりようです。

現代で高田馬場といえば、真っ先に想起されるのは「早稲田大学」かもしれません。事実、この日もたくさんの早大生と思しき若者とすれ違いながらの撮り歩きでした。

いちおう早稲田キャンパスにも立ち寄ったので、1枚載せておきましょう。

早稲田通り沿いには、学生価格の飲食店が立ち並びます。

まじか。何軒かメニューを覗きましたが、学生価格にしてはいささか高いかも。ここにもインフレの波が・・・

古書店が点在するのも学生街らしい風景。

通りで異彩を放っていたのが子育地蔵尊。詳しい謂われは調べていませんが、江戸時代、一帯の開拓に功績のあった小泉源兵衛という人を供養するための地蔵尊だそうです。

開拓って・・・そうか、この辺りはそんなに草深いところだったのか。やっぱり想像つかないなあ。

今回の「百景」撮影地

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