総司忌・・・所縁の場所を歩いてみた(1)

幕末の京都にその名を馳せた新選組にあって一番隊長を務めた沖田総司は、敵対していた相手から「局中第一等の剣客」「無闇に人を斬殺する」と恐れられた天才剣士でした。しかし若くして肺結核を病み、鳥羽伏見の戦いで敗走するころには第一線を退いていたようです。逃れて江戸で支持者に匿われることとなり、1868年7月19日(当時の暦では慶応4年5月30日)に東京で病没しました。生年がはっきりしないため享年は24とも25とも言われています。

わたしも新選組好きの端くれでありますが、これまで沖田総司については「なんか女性にやたら人気あるよね、一番隊長」くらいの感じで傍観していいて、それほどの関心を向けてきませんでした。

そんな中、ふとしたことから毎年6月下旬に沖田総司忌と呼ばれる、メモリアル・イベントが開かれていることを知りました。命日とは違うのですが「新選組推しのオフ会の日」とでもいうのでしょうか、四月の近藤勇忌、五月の土方歳三忌と並ぶ大切な日のようです。

沖田総司忌 新選組友の会公式サイト

※コロナ禍以降、今年も含めて何年かこのイベントが中止になっているようでちょっと心配です。

気が付いたのがちょうど総司忌の季節だから、これまであまり御馴染みではなかったけれど、ちょっと都内の総司に所縁の場所でも撮り歩いてみるか、ということでLUMIX S5と20-60mmズームを手にやってきたのは、六本木の旧テレビ朝日通り。

そうなんです。ついこの前に散歩した六本木ヒルズのすぐ西隣じゃありませんか。あの時に知っていればついでに立ち寄れたのですが.

江戸の昔はこのあたりに白河藩屋敷があって、江戸屋敷詰めの足軽小頭沖田勝次郎の長男として総司が生まれました。テレ朝通り沿いに鳥居のあるこの桜田神社近辺に生家の足軽長屋があったらしい、と。

もう本当に、六本木ヒルズ・グランドハイアットホテルの目と鼻の先です。さして広くない境内はこの時間帯には鬱蒼と暗くミステリアスな雰囲気。撮っているほんのわずかの滞在時間の間に何人もお参りの人がいたので、現代に生きている神社なのだな、と感じました。

何気なく取りましたが、こういうハイコントラストなシーンでもシャドー部を潰さずにしっかり持ち上げられるのはフルサイズのカメラの恩恵だな、と後から思いました。

没後の詳しい事情は分からないことが多い(なにせ当時おおっぴらに話題にできない反政府軍の重要人物ですから)ようですが、生家の近くのこの専称寺に総司を含め沖田家の墓所があるとのことです。ここもテレ朝通り沿いで、桜田神社から徒歩1~2分くらい。

人気者のお墓というのはいろいろ不心得者によるトラブルも多いようで、専称寺さんは墓所への一般の人の立ち入りを禁止されています。年に一度「総司忌」の頃だけは公開されていたらしいのですが、そのイベント自体がここ何年か中止になっているので・・・。

残念ですが、お寺の門前から1枚撮るだけです。
ともかく、これで沖田総司の生誕の地と没後の所縁の地を訪ねることができました。

ここからしばらく歩きます。
あたりの住所は港区元麻布。閑静な高級住宅街を抜け都立六本木高校と区立小学校の間の坂道を下ります。

ハイソな住宅街から、生活臭の漂う麻布十番の商店街まで降りてきました。

写真からなんとなく伝わってるかもしれませんが、6月中旬の梅雨の中休みのこの日、とにかく陽射しがきつくて暑い日でした。

麻布十番駅から地下鉄に乗って移動します。十番稲荷のわきに地下鉄大江戸線の入口が見えてきました。しかし暑い、ふう。

地中に潜って、空調の効いた駅構内に入ると生き返った気分です。

電車の行先表示が面白い形で歪んでますね。メカシャッターを切っているはずなので「ローリングシャッター歪み」ではないとすると、単純にシャッタースピードが速すぎたのですね。

で、電車に乗って移動した先が・・・ここです。

東京体育館ですね。「国立競技場前」で降りて地上に出たところです。今の建物に建て替わる前にはときどきここのプールに泳ぎに来ていたのですが、それも随分昔の話になりました。

ここから少し歩いて新宿区大京町を目指すのですが、そこに何があるかというと・・・知ってる方は先刻ご承知でしょうが、ちょっとだけネタを引っ張ってみましょうか。というわけで、次回につづきます。

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